元プロ作曲家の知り合いに音楽人生とプロ生活を振り返ってもらった(後編)

レコスタ1を経営しながらプロの作曲家として活動されていたYさんのインタビュー後編。今回は専門学校時代からプロとしての活動までを掘り下げます。廃業から3年が経過した今だからこそ語れる思いも、最後に伺いました。

DTMなら自分でもいい勝負ができるかもしれない
— プレーヤーとしての経験もある中で、主にDTMをやるミュージッククリエイターコースを選んだのはどうしてですか?
音楽理論や作曲をしっかり勉強したかったのと、将来的にBGMやゲームミュージックを作る仕事がしたいという具体的なイメージがあったからです。それに、あと、DTMならフルオーケストラのようなスケールの大きい曲を一人で作れるという点にも強く憧れていました。
専門学校にはシンガーソングライターとしてピアノやギターで作曲を学ぶコースもありましたが、歌もの2の作曲がメインになってくるので自分のやりたい方向性とは違うかなと思いました。
あと、楽器を演奏すること自体は好きですが、プロのプレーヤーを目指そうとは思いませんでした。自分が好きなプレーヤーは息を呑むような音を出す一流の人たちで、自分がそのレベルに到達するのは難しいだろうと考えてしまったからです。DTMなら一人で作品を作れるし、突き詰めれば自分でもいい勝負ができるかもしれない、そんな風に思ったんです。

— 通われていた音楽専門学校は老舗というイメージがあるのですが、決め手になった理由はなんでしょうか。
落ち着いた雰囲気で、集中して音楽を学ぶことができそうだったからです。他の専門学校も見学しましたが、どこも若々しくて活気がある反面、自分には少しキャピキャピしすぎている印象がありました。それで当時24歳だった自分には合わないかなと思いました。それに体験入学で先生がすごく話しやすくて、親しみやすかったことも大きな決め手になりました。
音楽を仕事にする覚悟を決めていたから、在学中から行動を起こせた
— やりたい仕事や学びたいことの具体的なイメージがあると学校選びがスムーズですね。専門学校に入ってみてどうでしたか?
とにかく楽しかったです。音楽が好きで曲を作りたいという強いモチベーションを持つ人たちがまわりにいる環境が初めてだったので、すごく刺激的でした。若くても面白い曲を作る人や、楽器は演奏できなくてもDTMが上手な人もいて、それまでプレーヤーとして音楽人生を歩んできた自分にはとても新鮮でした。
ミュージッククリエイターコースは他のコースと比べると学生の年齢層が幅広かったので、年齢に関係なく友達を作ることができたのもよかったです。毎日みんなで音楽について語り合う日々は、本当に充実していました。
— まさに青春ですね。授業についてはどうでしたか?
作曲の授業では、曲を完成させたうえで提出することを心がけていました。中には授業で発表する部分だけを作る人もいましたが、自分はとにかく持ち曲数を増やしたいという思いが強かったので、頑張って作り込みました。そのおかげで卒業時点では結構な数の曲ができていました。
また、テーマを与えられて作曲をするので、普段挑戦しないジャンルにも取り組めて面白かったです。周りにはダメ元で曲を完成させて楽しんでいる人や、普段聞かないジャンルを面白がって作る人もいて、刺激的な雰囲気でした。みんな同じテーマで作るからこそ、「この曲はすごい!悔しい!」みたいな競争心も自然と生まれて楽しかったですね。
ただ、挫折もあって、曲を作り始めたばかりの頃は講師から「もっと普通でいいよ」とよく言われました。自分では奇をてらわずキャッチーに作っているつもりだったので、すごくショックでしたね。まずは基本に忠実に作ったほうがいいということが言いたかったんだと思いますが、当時はそういった塩梅が分からなかったし、何がいけないんだと思って悔しくて仕方がありませんでした(笑)
— 曲に対して講師のアドバイスが聞けるのはありがたいですね。専門学校だからこそ学べたことは他にありましたか?
自分たちで曲を作って演奏する授業があったのは、とても良い経験になりました。みんなのレベルはそれぞれ違いましたが、協力して一つの曲を作り上げる過程は本当に学びが多かったです。
他のコースの人たちとの交流もあって、作った曲をボーカルコースの人に歌ってもらう機会もありました。ボーカルコースには高校を出たばかりの18歳の人が多かったので、自分たちが兄貴ポジションで作業を進めるという経験も積めました。年齢や立場を超えたやりとりは新鮮かつ実践的で、すごく楽しかったです。
卒業生や講師には業界で活躍している人も多いので、将来をイメージしやすいのもメリットですね。有名なプロの方が特別授業をしてくれる機会もあって、実際に演奏を聴いたり直接話しを聞ける機会があったのはとても貴重でした。
— 専門学校は就活が大変な印象がありますが、そのあたりはどうでしたか。
ありがたいことに、在学中から講師の紹介で仕事をもらうことができました。今だから言えることですが、専門学校のクラスに同期が十数人しかいない状況で一番目立っていなかったら仕事なんかできないだろうと思っていたので、授業中もなるべく自分をアピールするようにしていました。そのおかげで講師から「こいつなら仕事を紹介しても大丈夫だろう」と思ってもらえたみたいで、プロのネットワークに入れてもらうことができました。そこから、若手のクリエイターでもいいから手がほしいという案件に参加する形で、プロとしての活動を始めることができました。
専門学校を卒業したからといって、必ず音楽業界で働けるわけではなく、卒業の時点で「自分には無理だ」と諦めてしまう人も多いです。でも、自分は入学当初から音楽を仕事にする覚悟を決めていたので、そのために必要な行動を在学中から積極的に取ることができたと思います。
こんなところでスタジオができたら面白そう
— 理想的なスタートだったんですね。卒業直後の生活について教えてください。
作曲家としては、講師の紹介で商用利用可能なBGMライブラリ3の制作をしていました。専用サイトに作曲家として登録し、自分の曲が購入されるとフィーが入るという仕組みです。たくさん曲を書けばストック収入4になると思い、意識的に取り組んでいました。
他に音楽関係の仕事だと、卒業した専門学校でアシスタント講師として働いていました。大学時代に高校の教員免許を取っていたこともあって、人にものを教えることはそれなりに得意で、担任としてクラスも受け持っていました。卒業した学校の講師達と同僚になったことで、自分を評価してもらうチャンスも増えました。この環境でしっかり頑張れば、さらに仕事が広がるはずだと思って、力を入れて取り組みました。
あとは有名なDTMのオンラインレッスンサイトで講師をやっていました。生徒のみなさんの目的はさまざまで、既に音楽の仕事をしていてDTMでスキルアップを目指している人、趣味でDTMを始めてオリジナル曲を作りたい人、会社勤めをしながらミュージシャンとしての活動を模索する方などがいらっしゃいました。自分が担当した生徒さんがアイドル楽曲のコンペに合格し、感謝のメッセージを頂いたことがありますが、このときは本当にやりがいを感じました。音楽に対する新たな関わり方を発見できた瞬間でもあり、自分自身にとっても大きな学びとなりました。
一方で音楽の仕事だけで生活するのは怖くてできませんでした。当時は実家に住んでいましたが、音楽の仕事の合間にスーパーの夜勤や品出しのアルバイトもしていました。
そんな生活の中、音楽の仕事をしていくうちに制作環境に不満が出てきました。もっと大きい音が出せる制作環境を整えれば、作品のクオリティを上げることができて仕事が増えるのではないかと思ったんです。

— そこからスタジオの話につながってくるんですね。スタジオについて教えて下さい。
まずきっかけですが、専門学校時代の友達の親が工務店の社長をやっていて、古民家再生を手掛けていました。それで、その友達や専門学校の恩師と一緒に再生予定の古民家を見に行かせてもらう機会があったんです。
隣県の田舎にある古民家だったのですが、「こんなところでスタジオができたら面白そうだな」という話で盛り上がって、自分と恩師の共同の作業場としてスタジオを作ることに決めました。お互いにお金を出し合って、半年ぐらいかけて理想のスタジオを作りました。その間にスタジオ近辺への引っ越しもして、スタジオが稼働を始めたのは、専門学校を卒業してちょうど1年後くらいでした。

— スタジオという理想の制作環境が整ったことで、楽曲や仕事にはどのような影響が出ましたか?
時間を気にせず大きな音を出せる環境が整ったことで、楽曲のクオリティが大きく向上しました。
特にミキシングでは、音の定位をしっかり確認しながら各音が干渉しないようにどこまで調整を追い込めるかが重要です。この工程では、⼩さい⾳から⼤きい⾳、低⾳から⾼⾳までをしっかり鳴らし、リファレンス曲と自分の曲を何度も聴き比べる必要があります。防音・吸音設備が整ったスタジオがあることで、こうした作業をストレスなく進めることができるようになりました。
また、自宅で仕事をしていたときはON/OFFの切り替えが難しい場⾯もありましたが、⾃宅とは別で仕事場をもつことで、メリハリをつけることもできました。
ときにはスタジオの存在が後押しになって仕事に繋がることもありました。勤めていた専門学校に有名な音楽プロデューサーの方が作曲家を探しに来られた際、自分の曲を聴いてもらったところ気に入っていただけました。そして、どういう制作環境で作っているのかという話になり、スタジオに案内して音を聴いてもらったところ「こんないい環境を持っているなんて素晴らしい」と驚かれたんです。それ以降、プロデューサーの方にはよく可愛がってもらいました。このとき、プロとして信頼してもらうためにしっかりした環境を整えることも大切なんだなと感じましたね。
そして何より、ご近所の方には本当に良くしていただき、心から感謝しています。音楽スタジオには騒音トラブルがつきもので、ましてや古民家再生ということもあり、建物自体が古く、完全な防音・吸音はできていませんでした。しかし、近所の方々はとても協力的で応援してくれていたので、とてもありがたかったです。さらに、音楽が関わる地域イベントでは声をかけていただくこともあり、地域の方々とつながりを持つことができて非常に貴重な経験となりました。

このまま無事に40歳、50歳を迎えられるんだろうか
— スタジオ設立後の生活を教えてください。
日中は専門学校の講師や、縁あって高等専修学校で非常勤講師を務めていました。なので、音楽制作は基本的に夜間におこなっていました。また、オンラインレッスンも担当していたので、自分の音楽制作はどうしても深夜にずれ込むことが多かったです。納期によっては、徹夜が続くこともありました。
スタジオは恩師と二人で予定を調整しながら共有して使っていて、どちらかの納期が厳しいときには譲り合うようにしていました。僕にとって恩師の存在はとても大きくて、常にプロとしてのお手本でした。プロのクリエイターとしての仕事を間近でみることができたことは本当に恵まれていたと思います。
そしてもう一つの大切な存在が、スタジオのドアの外にいつも佇んでいた一匹のノラ猫でした。気づけばだんだんと仲良くなり、最終的には飼い始めて、今では一緒に生活しています。自分が忙しくて疲れ果てたときや、精神的に苦しいときも、猫の存在に何度も救われました。
楽曲制作に関しては、依頼していただくプロジェクトの中には、⾃分にとってはとても⼤きなプロジェクトもありました。「こうやって⼀つずつプロジェクトを成功させて信頼を積んでいこう!」と、いつも緊張感と期待感をもちながら制作を⾏なっていました。納品した時には本当に達成感を感じていましたね。

— 続けていく中で充実した仕事もあったんですね。
ところが残念ながら、数年続けてもなかなか生計は成り立ちませんでした。
当初はBGMライブラリの制作を続けることでストック収入が増え、いずれ楽になると思っていました。しかし、曲を作るスピードはそれなりに速くなったものの、クオリティにこだわりすぎる性格が災いして量産ができませんでした。1曲あたりの単価も低かったので、収入は安定せず、1ヶ月で数千円から多くても数万円くらい。しかも、売上があってもすぐにお金が入ってくるわけではないので、経済的にかなり厳しい時期が続きました。
依頼を受けた作曲やアレンジの仕事は、ノンクレジット5の案件も多かったです。その中には、自分の作った曲のクレジットがリリース後に他人の名義になっていることもありました。「こういうことって本当にあるんだな」と割と冷静に受け止められたのですが、これだと作曲家としての評判も広がらず、悪循環になってしまいました。
そんな生活の中で、「このまま無事に40歳、50歳を迎えられるんだろうか」という不安が次第に大きくなっていきました。そこで、最後の1年は副業的なことをすべてやめて、音楽に全力投球することを決意しました。しかし、頑張ったものの思ったような結果を出すことができませんでした。
それで「これからの人生はちゃんとお金を稼げるようになろう」と思い、10年間続けたプロの作曲家としての生活に区切りをつけて転職する道を選びました。

ビジネススキルが足りなかった
— 次第に体力も落ちてくる中で、複数の仕事をこなすのは大変ですね。総括や反省などがあれば教えて下さい。
まず、ハードワークでむちゃくちゃな生活だったので、「10年も続けられた」というのが正直なところです。同じ働き方をしても、普通だったら2、3年で諦めていると思います。自分は恵まれた環境の中で仕事に打ち込めていたので、「いつか大きな仕事ができるようになってやるぞ」という希望を割と長く持てたというか、持ててしまったというか。
一番の反省点は、フリーランスとしてのビジネススキル6が不足していたことです。自分で仕事を取る力や計画性が欠けていたため、せっかくのチャンスを十分に活かしきれませんでした。というのも、一緒にスタジオを運営していた恩師はビジネススキルが高く、いい仕事を選んで着実に成果を上げていました。スタジオについても担当するアーティストの方とうまく活用していて、お得意様を増やすことができていました。偶然に頼るのではなく、戦略的に収入の基盤を作ることがフリーランスとして必要なのだと思います。

— ビジネスモデルを構築できないと仕事は楽にはならないですね。今の自分だったらどうしますか。
ポートフォリオ7を意識したアウトプットを重点的にすると思います。ノンクレジットの案件は実績としてポートフォリオに記載することができなかったので、自分の実力を示すチャンスを逃してしまいました。依頼者はポートフォリオを通じて「この人が作る音楽の方向性や質が自分の求めるものに合っているか」を確認するので、ポートフォリオを作り込むことは仕事に直結する非常に重要な要素だと感じます。
また、クリエイター同士の横のつながりも、アウトプットを通じて自然に生まれることが多いです。自分の場合、SoundCloudにアップされた曲をきっかけにDMを送ったことで、仲良くなったクリエイターがいます。こうしたつながりを少しずつ広げていくことで、新しいアイデアが生まれたり、コラボレーションの機会が増えたりして、結果的に仕事やチャンスにつながる可能性があると思います。
最近では音楽を公開できるプラットフォームが数多くあるので、自分に合った場所をちゃんと選べば継続的なアウトプットはしやすいと思います。アウトプットを続けることで作品を評価してくれる人や応援してくれる人が少しずつ増え、フィードバックを通じて作品をさらに磨き上げることができます。継続的なアウトプットが自分の成長や次のチャンスへの足がかりになると思います。
— アウトプットの重要性はクリエイター全般に言えることかもしれないですね。いまはお互いにITエンジニアですけど、プログラマーもそんな感じ8ですよね。
そうですね。スキルが飛び抜けているならまた違うアプローチがあるのかもしれませんが、地道に創作を続けているような職人気質なタイプの人は、ポートフォリオや外に見せられる作品をしっかり持っておくべきです。どんな営業トークよりも実際の作品が一番説得力を持つというのは、時代や業界を問わず普遍的なことだと思います。
仕事がうまくいかないときは目先の利益や効率だけを追い求めてしまいがちですが、地道に実績を積み上げていくことが長い目で見て大きな成果につながると思います。もちろん大変ですが、結局それが一番確実な方法ですね。
— こういう現実的な話はあまり聞く機会がないので、このインタビューが誰かの役に立てばいいなと思います。
クリエイターも本当に十人十色ですからね。人それぞれ得意不得意もあるし、専門学校を卒業した自分のケースが一般的だとは思っていません。もっと効率的で楽な方法もあるかもしれません。
ただ、少なくとも自分の場合は専門学校にいってよかったです。作曲を基礎から教わることができただけでなく、専門学校でのつながりを通じてさまざまな仕事や経験に恵まれました。振り返ってみても、僕にとってあの2年間はとても価値のある時間だったと思います。
編集後記
今回のインタビューでは、元プロの作曲家としてのリアルなお話をお伺いしました。覚悟を決めて専門学校で学び、そこで得たチャンスをものにしてきた一方で、仕事として続ける以上、恵まれた環境や「好き」という気持ちだけでは乗り越えられない壁も多かったという現実が印象的でした。
それでも、前向きな姿勢や実直さ、人とのつながりを大切にしていれば、周りから評価され、チャンスを引き寄せることができるという前向きなメッセージもありました。Yさんの経験談が、音楽業界でのキャリアを考える方にとって参考になれば幸いです。
また、アーティストのポートフォリオの作り方については、以下の記事をぜひ参考にしてみてください。

脚注
- レコスタ:レコーディングスタジオの略。音声や楽器の録音、編集、ミキシング、マスタリングをおこなうための施設。外部の音が完全に遮断され、内部の音響も調整されているため、理想的な環境で制作をおこなうことができる。楽曲制作からナレーション収録まで幅広く利用される。 ↩︎
歌もの:歌(ボーカル)が入っている曲のこと。対義語はインストゥルメンタル(歌の入っていない楽器演奏のみの楽曲)。 ↩︎
商用利用可能なBGMライブラリ:使用許諾契約に基づき、BGMとしての使用が許諾された業務用音源のこと。放送局でCMや番組などに使用されることが多い。商用利用が可能な分、一般の音楽CDより高価。 ↩︎
ストック収入:一度の努力や投資で得た資産や仕組みによって、継続的に生じる収入のこと。労働時間に直接依存しないため、安定的な収入源となる。その実現は、みんなの憧れ。 ↩︎
ノンクレジット:楽曲を提供した作曲家の名前が作品ないや関連資料に明記されない契約のこと。楽曲の権利関係の管理を簡略化するためであったり、ブランドやプラットフォーム側に作品が帰属している印象を強調するために採用される。作曲者への利益にならない代わりに、報酬が高いことが多い。記事で触れたように、ゴーストライターになることもあるらしい。 ↩︎
ビジネススキル:職場やビジネス環境で必要とされる知識や能力の総称。対人コミュニケーションやタイムマネジメント、問題解決力など。社会不適合者だからとフリーランスを選ぶと、結局ここで詰むのが世の常。 ↩︎
ポートフォリオ:自分のスキルや実績、成果物をまとめた資料や作品集のこと。一般的にはクリエイティブ系・技術系の職種で、自分の能力や経験を具体的に示すために活用される。 ↩︎
プログラマーのポートフォリオ:IT業界ではプログラマーをはじめとするデジタル人材の流動性が高まっており、GitHubやQiita、Zennといった技術系プラットフォームや、ビジネスSNS、個人ブログなどを活用したポートフォリオが求められる場面が増えつつある。 ↩︎