インタビュー

元プロ作曲家の知り合いに音楽人生とプロ生活を振り返ってもらった(前編)

s.matsuura

beatractsでは音楽を中心にサブカルチャーについての情報を発信していきます。今回は音楽クリエイターへのインタビュー企画として、編集部員Sの個人的な知り合いである元プロ作曲家のYさんにお話を聞いてみました。

音楽スタジオを経営しながらプロの作曲家として10年間活動されていたYさん。音楽との出会いからプロとしてのキャリアの歩み、そして10年間の活動を通じて見えてきた課題や反省点について語っていただきます。

— インタビューを引き受けてくれてありがとうございます。まず、簡単に自己紹介をお願いします。

今年で40歳になります。大学卒業後に1年間のフリーターを経て、音楽専門学校のミュージッククリエイターコースで2年間作曲を学びました。その後、27歳から37歳までの10年間、プロの作曲家をしていました。現在は音楽業界から離れてITエンジニアとして生活しています。

— 珍しい経歴ですよね。好きな音楽や影響を受けた音楽についてもお聞きしたいのですが、普段はどんな曲をよく聴いていましたか?

割となんでも聴くタイプですが、BGMやインストゥルメンタルの曲は好きですね。これらは仕事で作る機会も多かったので、研究も兼ねてよく聴いていました。あと、小さい頃にピアノを習っていたのもあって、ピアノの曲を聴くことも多いです。

仕事をしていたときは、オリコンチャートやビルボードチャートをチェックすることが多かったです。ちょうどDTMと相性のいいEDMが流行っていた頃だったので、海外の音を研究する目的でBillboard Top 50をよく聴いていました。

— なんでも聴くタイプというのが、仕事で役に立っているのがいいですね。では、音楽経験を教えてください。

ピアノを5歳から習っていました。姉が先にピアノを習っていて、よく習い事について⾏ったりしていました。あとは当時住んでいた団地にはピアノを習っている同世代の⼦どもが多く、⾃分も気づいたら習わせてもらっていた感じです。これが最初の⾳楽経験だと思います。

中学校では吹奏楽部に入りました。小学校ではサッカークラブに⼊っていて、友達のほとんどがそのままサッカー部に進む中、自分は「他のことにも挑戦してみたい」という気持ちもあって、部活選びに悩んでいました。そんなとき、友人から吹奏楽部の仮入部に誘われました。もともと音楽が好きだったこともあって参加してみたら、息を吹き込んで音を奏でる管楽器の面白さに惹かれてしまい、正式に入部することを決めました。ただ、入部後に顧問の先生から指定された楽器はコントラバスだったので、「あ、管楽器じゃないんだ……」とその点は残念でしたね。

高校でも吹奏楽部に入りましたが、ずっと管楽器への憧れがあって、当時はサックスをやりたいと思っていました。ただ、中学のパートを引き継ぐ流れがあり、結果的にオーボエを担当することになりました。高校の吹奏楽部はジャズを多く演奏する部活で、自分自身もジャズに興味があったのですが、オーボエはビッグバンドの編成には含まれず、少し寂しさを感じることもありました。

オーボエ
オーボエ

大学では念願叶ってジャズサークルに入って、トランペットを吹くことができました。クリフォード・ブラウン1が好きで、特にその音色に惹かれていました。他にもマイルス・デイヴィス2、チェット・ベイカー3などをよく聴いていましたね。自分はプレイヤーとしては決して上⼿なトランペッターではなかったのですが、⾳楽を通じて仲間と交流することに魅了されていました。セッションに参加したり、ジャズ喫茶でジャズ‧コンボの演奏を聴いたりするなかで、ミュージシャン同⼠が⾳楽で反応し合う様⼦に感動していました。特にアドリブでの即興的なやりとりを⽬の当たりにして、その瞬間的な創造性には強く憧れていましたね。

音楽はずっとやっているものの、節目節目で担当楽器が変わっているのが面白いですね

幸か不幸か、弦楽器、鍵盤楽器、木管楽器、金管楽器に一通り触れることができたのは自分の音楽人生を考えるとよかったです。楽曲制作においても、各楽器の音色だったりオイシイ使い所を具体的にイメージしながら作業ができたので、のちのち仕事でも役に立ちました。

— マルチプレイヤーなのはDTMをやるうえで強力な武器になりますね。そこから専門学校に入ろうと思ったきっかけは?

実は将来的に⾳楽を仕事にしたいなぁという漠然とした夢は⾼校時代から常に頭の中にあったのですが、そんな夢を家族や周りの友⼈に⾔い出す勇気もなく⼤学に進学しました。くすぶっていたので、⼤学では日頃から大学時代のサークルの友人と「なにかおもろいことやりたいよね」という話をよくしていました。

大きな転機は大学の3回生が終わったあと休学して、トランペットを持ってカナダにワーホリにいったことです。街中でトランペットを演奏すると、下手なんだけどみんながワイワイと喜んでくれたのが嬉しくて、そのときやっぱり音楽を仕事にしたいなと思ったんです。それと同時に、音楽を仕事にするためにはそのモチベーションでちゃんと勉強したいと感じて、専門学校への入学を決意しました。

トランペットを吹くYさん
カナダで吹いたトランペット
ライブに出演するYさん
ライブにも出演

— 急に海外の話も出てきましたが、とにかく行動力があるのがすごい。

そうですね。当時は高橋歩4さんに強く影響を受けていて、「足踏みしてても、靴の底は減るぜ」という言葉に背中を押されて行動していました。高橋歩さんに会うために沖縄のBeach Rock Village5までヒッチハイクで行ったこともあります。

ワーホリでカナダを選んだのは星野道夫6さんのオーロラの写真に魅せられたからです。カナダについて知っていたのは、オーロラが見られるということぐらいでした。ワーホリ中には、カナダからアラスカまで足を延ばして、アラスカ大学フェアバンクス校の博物館に展示されている星野道夫さんの写真を実際に目にすることができました。

カナダで見たオーロラ
カナダで見たオーロラ

— そういう背景があったんですね。よければフリーター時代の話も聞かせてください。

大学卒業後の1年間、専門学校の入学金を貯めるためにフリーターとして働きました。頑張って働いて月25万円ぐらい稼いでましたね。やりたいようにやれているけど実は将来の不安もあって、いろいろと焦ったりもしていました。親は「入学金と学費を自分で工面すること」という条件付きで夢を応援してくれたので、とても感謝しています。

また、バイト代で30万円以上するRolandのFantom-G87を購入して、音楽で生きていく覚悟を改めて固めました。シーケンサーがついているのが売りのシンセサイザーだったので、それで自分なりに曲をつくったりしました。

Roland Fantom-G8
Roland Fantom-G8

— 機材に時代を感じますね…!当時のDTM界隈は初音ミク8がブームになったりしていましたが、過去に作曲やDTMの経験はあったんですか?

作曲とまでは言えないかもしれませんが、自分が高校生だった頃のガラケーは3~4和音の着メロを作ることができたので、遊びで曲を作って友達に聴いてもらっていました。あとはカセットテープに多重録⾳して遊んだりしていましたね。2つのデッキを使ったかなりアナログな⼿法でしたが、楽しんでいました。

DTMはおろかパソコンも大学の課題をやるためのノートパソコンを持っていたぐらいで、まったく詳しくありませんでした。作曲用にパソコンではなくFantom-G8を選んだのもそういう理由です。シンセサイザーの方が楽器の練習にもなるし。ただ、パソコンで本格的に作曲を始めてからもFantomはMIDIキーボードとしても大活躍してくれました。88鍵でパッドやコントローラーもたくさんついてるから便利でした。

作曲の経験はほとんどありませんでしたが、大学までずっと音楽をやってきていて楽器にも親しんでいたので、理論には詳しくないけど基本的な理解はあるという自信はありました。しかし、この自信は後に専門学校で見事に打ち砕かれることになります(笑)

インタビュー前編はここまで!

後編では、専門学校時代のエピソードからプロとしての生活、スタジオを所有することができたことのメリット、そして10年目でプロの道を退いた決断について伺います。それぞれの節目で得た経験や思いを深く掘り下げていきますので、どうぞお楽しみに!

脚注

  1. クリフォード・ブラウン:ハードバップ期を代表する天才トランペッター。短い生涯ながら、精密なテクニックと豊かな表現力で後世のミュージシャンに多大な影響を与えた。 ↩︎

  2. マイルス・デイヴィス:ジャズの進化を象徴する伝説的トランペッター。ビバップからフュージョンまで、数々の音楽革命を牽引した稀有な存在。 ↩︎

  3. チェット・ベイカー:ウエストコースト・ジャズを代表するトランペッター兼ヴォーカリスト。甘美な音色と内省的な歌声で独自の世界観を確立した。 ↩︎

  4. 高橋歩:1972年東京生まれ。自由人。自己啓発本を多数出版していることで有名で、良くも悪くも多くの若者の人生を変えた。 ↩︎

  5. Beach Rock Village:沖縄の本島北部にかつて存在したゲストハウス&カフェ・バー。世界一周を終えた高橋歩の「沖縄で史上最強の楽園を創ろう!」という夢に共感した日本中の仲間たちが一緒に作った自給自足ビレッジ。2018年3月31日に閉業。 ↩︎

  6. 星野道夫:写真家・エッセイスト。アラスカを拠点に大自然や動物たちを独自の視点で捉えた作品で知られる。自然への深い敬意と哲学的な思索を織り交ぜた文章が、多くの人々の心を動かしている。 ↩︎

  7. Roland Fantom-G8:2008年発売のシンセサイザーで当時のフラッグシップモデル。高品質な音源に加えシーケンサーが内蔵されており、プロフェッショナルな音楽制作とライブパフォーマンスに対応。当時の定価は33万円。 ↩︎

  8. 初音ミク:2007年にクリプトン・フューチャー・メディアから発売された音声合成ソフトウェア「VOCALOID2」用のキャラクター。日本語女性ボーカルを担当し、誰でも簡単に歌声を作成できる画期的なツールとして人気を集めた。当時、体験版が付属したDTM magazineが3日で完売するなど、DTMの普及にも一役買った。 ↩︎
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